<IBF日本について>
当ホームページの掲示板で、IBF日本のことが話題になっているので、IBFおよびIBF日本について知っていることを説明するとともに、JBCがIBFを認める可能性について述べることにする。
☆IBF設立の経緯
IBFが設立されたのは、1983年4月のことである。母体は地域タイトルのひとつであったUSBA(全米ボクシング協会)で、発足当時はUSBAIと称していた。USBAIがIBFと改称したのはその年の8月のことである。では一地域団体のUSBAが、世界タイトル認定に乗り出した経緯について説明するとことの発端は前年のWBA総会にある。この年のWBA総会では、総会直前に死去したロドリゴ・サンチェス会長の後継会長選挙が行われ、現在もWBA会長を務めるヒルベルト・メンドサ氏とロバート・リー氏が激しく争い、メンドサ氏が会長に選出された。実はこの選挙で日本がメンドサ氏支持に回ったことが、後のIBF日本コミッション,IBFアジア・コミッション設立へつながったとも言われている。そしてこの年の12月、WBCが世界タイトルマッチを従来の15回戦制から12回戦にすることを決定したことによって、15回戦制を堅持しようとするWBAとWBCが対立、当時世界ミドル級チャンピオンだったマービン・ハグラーの防衛戦で、WBCが15回戦ではタイトルマッチと承認しないとプロモーターのボブ・アラム氏と対立、WBA側が12回戦でのタイトルマッチを認めることになったものの、アラム氏がこのWBAとWBCの確執に嫌気がさし、前年のWBA会長選挙に敗れたUSBA会長のロバート・リー氏を担ぎ出してアメリカの32の州が参加するUSBAIを設立、ハグラーの試合をUSBAI認定の世界ミドル級タイトルマッチ15回戦で試合を行ったことにより、第3の団体として活動を開始することになった。USBAIでは、発足と同時にランキングを作成してチャンピオンを発表したが、最初はWBA・WBC認定のチャンピオンの中から、アメリカの選手を中心にチャンピオンとして認定した。これに対しWBA・WBCは、各国のコミッションに対し、USBAIへの参加をしないように求めた。
☆IBF日本設立の経緯
次ぎにIBF日本が設立されたの経緯を述べる。IBF日本が設立されたのは1983年8月のことである。仕掛け人は当時西日本ボクシング協会会長だった奈良池田ジム会長の池田久氏である。池田氏がIBF日本立ち上げたのは、次ぎのような経緯からだった。池田氏のジムには当時、後にIBF世界バンタム級チャンピオンとなる新垣諭選手がいた。1000万円の契約金で話題となった選手で、プロ入り5戦目で、当時世界ランカーだった金龍鉉(韓国=具志堅、渡嘉敷に判定負け)と引き分けた。池田氏は、この新垣を6戦目で渡嘉敷勝男(協栄)を4R負傷判定で下し、WBA世界ジュニア・フライ級(現ライト・フライ級)チャンピオンとなったルペ・マデラ(メキシコ)と対戦させる約束を取りつけた。渡嘉敷vsマデラ戦は4月に引き分け、7月に再戦となりマデラが勝ったのだが、試合停止となった際にマデラが試合放棄とも受け取られるような行動を見せたことや負傷判定について当時の日本のファンの認識が低かったことに加え、説明を行ったJBCの小島茂事務局長が「引き分け」と1度発表する不手際が重なって混乱、協栄ジムはWBAに対し再戦を要求、WBAが協栄ジム側の抗議を受け入れて、同じ組み合わせで3回も続けて試合を行うこと自体異例のことだが、JBCの後押しもあってマデラvs渡嘉敷戦の再戦を認めた。これで割を食ったのは新垣で、マデラvs新垣戦はご破算となってしまった。これに納得がいかないのは池田氏で、IBF設立の総会開催を聞きつけて出席、IBF日本コミッション設立をIBF本部に認めさせた。このIBF設立総会について、JBCは招待状が届かず、会議が行われることすら知らなかったとコメント、日本が招待されなかった理由が、前年行われたWBAの会長選挙で、日本がメンドサ会長支持に回ったことだったと言われている。帰国後、池田氏は西日本ボクシング協会会長を辞任してIBF日本コミッション設立に動いた。JBCはこの池田氏の動きに対し、ボクシングにおける1国1コミッションの原則を逸脱するものであるとして参加者にはライセンス停止などの処分を行うと警告をだした。しかし、池田氏はJBCの警告を無視して、IBF日本コミッションとIBFアジア・コミッション設立を発表した。実はUSBAIがIBFと改称されることが明らかになったのはこの時が最初であった。ここまでが、IBF日本コミッション設立までの経緯である。
☆IBFが日本で認知されない理由
1983年の設立以降、WBAやWBCと肩を並べる団体として勢力を伸ばし世界的に認められるようになったIBFが日本で認知されないのはなぜだろうか?理由は色々と考えられる。ひとつは、設立記念で行われた世界チャンピオン決定戦に3年もリングに上がっていない引退状態の選手を出したことや経験の浅い新垣を出して病院送りとなるKO負けを喫したことが挙げられる。また、最初の記念試合が、関西地区のローカルTV局であるサンテレビでしか放送されなかったこと、その後はTV局がつかず、全国的な認知が得られなかったことも理由のひとつだろう。それから、当時、関西が元気だったとはいえ、関東地区への進出がJBCや全日本ボクシング協会の結束によりできなかったこと、更には池田氏の目論みより参加ジムが少なく、10数ジムしかなかったため、新垣がIBF世界バンタム級チャンピオンとなったものの、選手不足のため興行がままならなかったことや経験の少ない川島志伸(川島郭志の実兄)や川上正治といった選手が世界タイトルに挑戦して惨敗したこと、韓国がIBFから脱退することになった選手の替え玉事件、そして決定的にしたのはJBCを独禁法違反で提訴したことだろう。この提訴自体、無茶な論理で無理があったのだが、結局は裁判を開く前に提訴を取り下げて一件落着となった。さらに付け加えれば、設立当初選手の確保ということから、4度目の世界タイトル挑戦に失敗し、現役引退を決意した村田英次郎やその村田のトレーナーを務めていたエディ・タウンゼント氏に高額な契約金を提示して、IBF日本への参加を呼びかけたことなども、ファンの反感を買う要因となり、ファンから認知されない結果となったのではなかっただろうか?後に世界タイトル挑戦の経験がある亀田昭雄がIBF日本に参加したが、往年の力は出せずイギリスで当時のIBFチャンピオン、テリー・マーシュに挑戦したが、6RTKOで敗れた。1988年頃を最後にIBF日本は活動を停止したものの、1997年になって活動を再開、1998年1月には飯泉健二が登場して話題となった。活動再開した当初リングに上がった選手の顔ぶれを見ると、飯泉のように網膜剥離などの眼疾で引退を余儀なくされた選手や負けが込んで半ば引退状態にあった選手で、試合内容は決して高いものではなかった。IBF日本では、独自の基準でCTスキャンを含めた身体検査を行っており、出場した選手はその検査に合格しているので問題ないとは言っているが、どこまで厳格な検査を行っているのかは甚だ疑問を感じる。現在はIBF認定のアジア・タイトルを保持する金城秀機をメインにして、IBF日本は年に1,2度興行を行っている。
☆日本がIBFを認める日が来るか?
最後に、JBCがIBFを認定する可能性について触れておきたい。実は、JBCからライセンスを発給された選手で、IBFタイトルに挑戦した選手がいる。1995年11月、タイで当時WBC・IBF認定のジュニア・フライ級チャンピオンだったサマン・ソーチャトロンに挑戦した細野雄一で、この時、日本では試合が行われるまではWBCとしか触れられておらず、試合の結果(細野4RKO負け)が出たあとになってからWBC・IBFという形で表記されるようになった。また、2度日本で世界ヘビー級タイトルマッチを行ったマイク・タイソンは当時、WBA・WBC・IBF3団体が認定する統一世界ヘビー級チャンピオンだったが、日本での試合ではIBFという表記はされず、JBCはIBF関係者との接触を避けるため、来日したリーIBF会長を調印式や計量会場に入れなかったり、試合当日も関係者席に入れず、リー会長はチケット買って会場入りしたという。また、IBFに加盟していない日本の選手がIBFのランキングに名前を連ねることに疑問を感じる方もいるだろう。IBF側から言わせると日本はIBF日本コミッションがあり、加盟していることになる。このIBF日本コミッションが勝手に資料を送って、日本の選手をランクするようにしているから、IBFランキングに日本の選手の名前が出てくるのである。さて、JBCがIBFタイトルを認定し、日本の選手がIBFタイトルに挑戦する可能性はあるのだろうか?現在IBFアジア地区コミッショナーを務める池田氏は常々、JBCがIBFタイトルを認定するならIBF日本コミッションは解散すると言っている。だからと言ってJBCがIBFを認定する日が来るかと言えばNOだろう。ファンには、IBFを認めてもいいのではという声がある。日本はかつてWBCがWBAから独立した際、WBCを認めないというスタンスをとっていたが、OBF(現OPBF)がWBCの構成団体だったことや、TV局から比較的視聴率が取れていた世界タイトルマッチの放送を行いたいという要望が増えたこともあって、WBCを認定したという経緯があり、池田氏も心の中ではWBC同様、IBFも近い将来には認められるのではないかという読みがあったのではないだろうか?しかし、1970年代後半に世界タイトルマッチを粗製濫造したツケで、世界タイトルマッチの視聴率が上がらなくなったことから、TV局からの需要が減ってしまい、1980年代後半には、世界タイトルマッチの放送枠が、ゴールデン・タイムから、土日・祭日の午後という時間帯に追いやられてしまっている。さらには深夜の録画放送や全国放送が行われないという世界タイトルマッチすら増えているのが現状である。日本の場合、TV局の存在が非常に大きな比重を占めている。TV局側から放送枠を増やすので世界タイトルマッチをやって欲しいという要望がよほど強くならない限り、JBCや日本プロボクシング協会がIBFを認めるという動きにはならないだろう。WBAとWBCが統一するとか、あるいはWBAもしくはWBCをIBFが吸収するといった劇的な動きがない限り、JBCがIBFを認めることはないと思う。
(2001年4月3日・記)