<昭和50年> 1月 8日:小熊正二はミゲール・カントに判定負けで、WBC世界フライ級タイトルを失
う。 1月21日:輪島功一がオスカー・アルバラードに判定勝ちを収め、世界ジュニア・ミドル
級チャンピオンに返り咲く。 2月22日:WBCが輪島功一のタイトルを剥奪。理由は1位のミゲール・デ・オリベイラ
との対戦を拒否したというもの。 2月27日:ガッツ・石松がケン・ブキャナンに判定勝ちを収め、WBC世界ライト級タイ
トルの3度目の防衛に成功する。 3月 2日:日本ジュニア・フライ級の初代王座決定戦が行われ、天龍数典が初代チャンピ
オンとなる。 3月27日:柴田国明がオーランド・マクルフィーに判定勝ちを収め、WBC世界ジュニア
・ライト級タイトルの3度目の防衛に成功する。 4月 1日:花形進はエルビト・サラバリアに判定負けで、WBA世界フライ級タイトルを
失う。 6月 5日:ガッツ・石松がチュリー・ピネダに判定勝ちを収め、4度目のタイトル防衛に
成功する。 6月 7日:輪島功一は柳済斗に7RKO負けして、タイトルを失う。 7月 1日:マレーシアのクアラルンプールで行われた世界ヘビー級タイトルマッチのレフ
ェリーに、日本人として初めて羽後武夫氏が起用される。 7月 5日:柴田国明はアルフレッド・エスカレラに2RKO負けして、タイトルを失う。 8月 5日:かねてから病気療養中だった真鍋八千代コミッショナーが死去。 8月23日:高田次郎がWBC世界フライ級チャンピオン、ミゲール・カントに挑戦したが
11RKOで敗れる。 10月 7日:花形進がエルビト・サラバリアとの再戦に挑むが、判定負けでタイトル奪還な
らず。 10月 8日:沼田久美がWBC世界バンタム級チャンピオン、ロドルフォ・マルチネスに挑
戦したが、判定負け。 10月12日:ロイヤル・小林がWBA世界フェザー級チャンピオン、アレクシス・アルゲリ
ョに挑戦したが、5R、アルゲリョの強烈なボディ・ブローで小林は悶絶のK
O負け。 11月11日:三迫将弘がWBA世界ジュニア・ミドル級チャンピオン、柳済斗に挑戦したが
6RKO負け。 12月 4日:ガッツ・石松がアルバロ・ロハスを14RKOで下し、5度目のタイトル防衛
に成功する。 12月13日:コミッショナー代行の寿原正一氏死去。 12月17日:島袋武信がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、ルイス・エスタバに
挑戦したが、10RKO負け。 12月24日:丹羽春夫氏が三代目コミッショナーに就任。 <昭和51年> 1月 3日:天龍数典がWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、ハイメ・リオスに挑
戦したが、判定負け。 1月12日:柏葉守人がWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオン、ベン・ビラフロアに
挑戦したが、13RKO負け。 1月25日:古山哲夫がWBC世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、センサク・ムア
ンスリンに挑戦したが、判定負け。 2月 9日:WBCがジュニア・フェザー級の新設を発表。 2月17日:輪島功一が柳済斗に挑戦し、15RKO勝ちでタイトル奪還に成功する。 3月 1日:開催地を巡って交渉が暗礁に乗り上げていたWBC世界ライト級タイトルマッ
チの興行権の入札が行われ、エステバン・デ・ヘスス側が25万ドルを提示、
21万ドルを提示した石松側を抑えて興行権を得た。 3月 6日:フリッパー・上原がWBC世界フェザー級チャンピオン、デビット・コティに
挑戦したが、11RTKO負け。 4月 1日:バズソー・山辺がWBC世界ジュニア・ライト級チャンピオン、アルフレッド
・エスカレラに挑戦したが、6RTKO負け。しかし、早すぎるレフェリー・
ストップに会場は騒然。 4月 3日:ワルインゲ・中山がWBC世界ジュニア・フェザー級初代王座決定戦に出場し
たが、リゴベルト・リアスコに8RTKO負け。 4月23日:東京高裁の調停で、2つのボクシング協会の統合推進委員会が発足。委員長に
三迫仁志・三迫ジム会長が就任。 5月 8日:ガッツ・石松がプエルトリコのサンファンでエステバン・デ・ヘススの挑戦を
受けて判定負けして、タイトルを失う。この試合で石松は20万ドル(当時の
レートで約6000万円)のファイト・マネーを得て話題に。当時の日本の世
界チャンピオンのファイトマネーは1000万円前後だったと言われている。 5月15日:花形進がWBC世界フライ級チャンピオン、ミゲール・カントに挑戦したが、
判定負け。花形はこの試合を最後に引退。 5月18日:輪島功一がホセ・デュランに14RKO負けで、タイトルを失う。 6月26日:日本武道館で世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリが、プロレスラーの
アントニオ・猪木と異種格闘技戦を行い引き分け。この試合で30万円のリン
グ・サイド席が話題に。また、全く噛み合わない試合に、ファンの不満が続出。 7月 1日:バズソー・山辺がアルフレッド・エスカレラに再挑戦したが、判定負け。 7月16日:シゲ・福山がWBC世界フェザー級チャンピオン、デビット・コティに挑戦し
たが、3RKO負け。 8月22日:丹羽春夫コミッショナーが、WBA副会長に就任。 10月 9日:ロイヤル・小林がWBC世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、リゴベルト
・リアスコに8RKO勝ちを収め、タイトル奪取。 10月10日:具志堅用高がWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、ファン・グスマン
に7RKO勝ちを収め、タイトル奪取。 10月16日:菊池弘泰JBC事務局長死去。 10月27日:辻本章次がWBA世界ウエルター級チャンピオン、ホセ・ピピノ・クエバスに
挑戦したが、6RKO負け。 11月15日:分裂していた協会が統一され、全日本ボクシング協会が発足。 11月24日:ロイヤル・小林が韓国のソウルで、廉東均の挑戦を受け、15R判定負け。わ
ずか46日でタイトルを失う。 11月27日:中里光三郎氏がJBC事務局長に就任。 <昭和52年> 1月 1日:高田次郎がWBA世界フライ級チャンピオン、グティ・エスパダスに挑戦した
が、7RKO負け。 1月20日:三迫仁志氏が、統一された全日本ボクシング協会の会長に就任。 1月22日:元世界フライ級チャンピオンのパスカル・ペレス死去。 1月30日:具志堅用高がハイメ・リオスに判定勝ちを収め、WBA世界ジュニア・フライ
級タイトル初防衛に成功する。 2月 8日:柴田勝治氏がJOC(日本オリンピック委員会)委員長に就任。 2月12日:バズソー・山辺がプエルトリコのサンファンで、WBC世界ライト級チャンピ
オン、エステバン・デ・ヘススに挑戦したが、6RTKO負け。 4月 2日:ガッツ・石松がWBC世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、センサク・
ムアンスリンに挑戦したが、センサクのボディブローで6RKO負け。なお、
この試合で日本では初めて、ラウンド・ガールが登場した。 5月22日:具志堅用高がリゴベルト・マルカノに判定勝ちを収めて、2度目のタイトル防
衛に成功する。 5月29日:フリッパー・上原がWBA世界フェザー級チャンピオン、ラファエル・オルテ
ガに挑戦したが、判定負け。 6月 7日:輪島功一がWBA世界ジュニア・ミドル級チャンピオン、エディ・ガソに挑戦
したが、11RKO負け。試合後、輪島は引退を発表した。 6月12日:WBAの実行委員会が、ジュニア・フェザー級の新設を決める。 6月15日:触沢公男が、WBC世界フライ級チャンピオン、ミゲール・カントに挑戦した
が、判定負け。 8月28日:アポロ・嘉男がプエルトリコのサンファンでWBA世界ジュニア・ライト級チ
ャンピオン、サムエル・セラノに挑戦したが、判定負け。 8月31日:大幸勝則選手が、8月26日の試合でKO負け後死亡。この年リング禍による
死亡事故が3件目となった。 9月 4日:アメリカでデビューし、5戦5KO勝ちの触れ込みで帰国したヘビー級ボクサ
ー、コング・斎藤が日本のリングに登場し、KO勝ちをしたものの、実力不足
を暴露する結果に・・・。 9月13日:柴田賢治がWBA世界ジュニア・ミドル級チャンピオン、エディ・ガソに挑戦
したが、判定負け。 9月25日:WBA総会で世界タイトルマッチのルールが一部改正される。 @ 世界タイトルマッチでの使用グローブはジュニア・フライ級とフライ級が
6オンス、バンタム級からウエルター級までが8オンス、ジュニア・ミドル
級以上が10オンス(それまでは、ジュニア・フライ級からウエルター級ま
でが6オンス、ジュニア・ミドル級以上が8オンス)となる。 A 偶然のバッティングにより試合停止となった場合、3Rまでがドロー、4
R以降はそれまでの採点により勝敗を決する 10月 9日:具志堅用高がモンシャム・マハチャイを4RKOで下し、3度目のタイトル防
衛に成功する。 11月 1日:JBC創立25周年記念として行われる「チャンピオン・カーニバル」のカー
ドが発表される。 11月 2日:6日までフィリピンのマニラで行われた東洋ボクシング連盟の総会で、オース
トラリア等の加入が承認され、名称を東洋・太平洋ボクシング連盟に改称する。 12月 3日:4日の2日間にわたって「チャンピオン・カーニバル」が行われ、9試合の日
本タイトルマッチが行われた。 <昭和53年> 1月 2日:触沢公男がWBA世界フライ級チャンピオン、グティ・エスパダスに挑戦した
が、7RTKO負け。 1月 4日:小熊正二がWBC世界フライ級チャンピオン、ミゲール・カントに挑戦したが
2−1の判定負け。しかし、この判定に不服の小熊陣営がWBCに提訴。判定
は覆らなかったが、WBCは再戦を指示する。 1月19日:ロイヤル・小林がWBC世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、ウィルフレ
ド・ゴメスに挑戦したが、3RKO負け。 1月29日:具志堅用高がアナセト・バルガスを14RKOで下し、4度目の防衛に成功する。 2月 1日:笠原優がWBA世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、洪秀煥に挑戦したが
判定負け。 2月11日:龍反町がアメリカ・ラスベガスでWBC世界ウエルター級チャンピオン、カル
ロス・パロミノに挑戦したが、7RKO負け。 4月18日:1月に惜しくも判定負けした小熊正二が、ミゲール・カントとの再戦を行った
が、判定負け。 4月27日:1月、ゴメスにKO負けしたロイヤル・小林が、再起戦でOPBFフェザー級
チャンピオン、黄福寿に挑戦し、10RKO勝ちで、OPBFフェザー級チャ
ンピオンとなる。 5月 7日:具志堅用高がハイメ・リオスを13RKOで返り討ちし、5度目のタイトル防
衛に成功する。 7月20日:ガッツ・石松が1年3ヶ月ぶりに再起戦を行ったが、新井容日に判定負け。 8月 9日:工藤政志がWBA世界ジュニア・ミドル級チャンピオン、エディ・ガソに判定
勝ちを収め、タイトル奪取。 8月13日:具志堅用高がノンタイトル戦を行い、韓国チャンピオンに6RKO勝ち。 9月21日:WBCがクルーザー級の新設を決定する。JBCは最初、このクルーザー級を
ミドル級とライト・ヘビー級の間に新設されると発表したが、後にライト・ヘ
ビー級とヘビー級の間に新設されると訂正した。また、JBCはこのクラスに
鈴木利明選手を推薦し、WBCは4位にランクした。 9月28日:日本ライト級チャンピオンの用皆政弘と日本ジュニア・ウエルター級チャンピ
オンの畠山昇が、ノンタイトルで対決。用皆が判定勝ちを収める。 10月15日:具志堅用高が鄭相一を5RKOで下し、6度目のタイトル防衛に成功する。 10月18日:4回戦選手に事故多発したことを受けてJBC理事会は1R2度のダウンでK
O負けとすることを決める。 11月 1日:JBCが、財団法人の認可を受ける。 11月25日:26日の2日にわたって第2回チャンピオン・カーニバルが開催される。 11月29日:丸木孝雄がWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオン、サムエル・セラノに
挑戦したが、判定負け。 12月13日:工藤政志が朱虎を判定で下し、タイトル初防衛に成功する。また、同日行われ
た日本ミドル級王座決定戦は、鈴木利明が8RKO勝ちしたが、試合前の計量
でリミットに落とせず、チャンピオンになれないという珍事。 12月14日:村田英次郎が金栄植に判定勝ちを収め、OPBFバンタム級チャンピオンとな
る。 <昭和54年> 1月 7日:具志堅用高がリゴベルト・マルカノを7RKOで下し、7度目のタイトル防衛
に成功。小林弘、輪島功一の世界タイトル6度防衛の記録を更新。 1月 9日:ロイヤル・小林がWBA世界フェザー級チャンピオン、エウゼビオ・ペドロサ
に挑戦したが、13RKO負け。 1月29日:大熊正二(小熊正二が改名)がWBA世界フライ級チャンピオン、ベツリオ・
ゴンサレスに挑戦したが、引き分けでタイトル奪取ならず。 1月30日:ガッツ・石松が引退発表。 2月25日:小高伊和夫・極東ジム会長死去。 3月14日:工藤政志がマヌエル・ゴンサレスを判定で下し、2度目のタイトル防衛に成功
する。 4月 8日:具志堅用高がアルフォンソ・ロペスを7RKOで下し、8度目のタイトル防衛
に成功する。 4月26日:三原正がデビュー5戦目で林載根を5RKOで下し、東洋・太平洋ジュニア・
ミドル級チャンピオンとなる。なお、この試合で林は、ウエイト・オーバーで
失格するという失態。 5月20日:リキ・五十嵐が韓国のソウルでWBC世界フライ級チャンピオン、朴賛希に挑
戦したが判定負け。 6月20日:工藤政志がマヌエル・ゴンサレスの再挑戦を12RKOで下し、3度目のタイ
トル防衛に成功する。 7月 6日:大熊正二がWBA世界フライ級チャンピオン、ベツリオ・ゴン サレスに再挑戦したが、12RKO負け。 7月29日:具志堅用高がラファエル・ペドロサを判定で下し、9度目のタイトル防衛に成
功したが、連続KO防衛の記録は6でストップ。 9月 6日:瀬川幸雄がWBA世界ジュニア・フェザー級チャンピオン、リカルド・カルド
ナに挑戦したが、判定負け。 10月 1日:JBCは採点を、「5点法」から「10点法」に変更する。 10月 4日:荻野貞行氏が死去。 10月 4日:用皆政弘がWBC世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、金相賢に挑戦し
たが、11RKO負け。 10月12日:”ボクシング版江川事件”と言われた古口哲のプロ入り問題は、国際ジムから
センタースポーツ・ジムへの移籍ということで決着。 10月24日:工藤政志がアユブ・カルレに判定負けして、タイトルを失う。 10月28日:具志堅用高がティト・アベラを7RKOで下し、10度目のタイトル防衛に成
功する。なお、この防衛成功により具志堅は、世界タイトル年間4度防衛に成
という記録を作る。 11月 7日:丹羽春夫JBCコミッショナーが辞意表明。 11月28日:保坂誠氏が第4代JBCコミッショナーに就任。 12月 1日:柴田国明が引退を発表。 <昭和55年> 1月 3日:中島成雄がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、金性俊を判定で下し
タイトル奪取。 1月 9日:ジェームス・キャラハンがダイナマイト・松尾を8RKOで下し、史上最短の
4戦目で日本ミドル級チャンピオンとなる。 1月22日:スパイダー・根本がWBA世界フェザー級チャンピオン、エウゼビオ・ペドロ
サに挑戦したが、判定負け。なお、この試合に日本で行われた世界タイトルマ
ッチでは初めて女性のジャッジが起用された。 1月27日:具志堅用高が金龍鉉を判定で下し、11度目のタイトル防衛に成功し、当時ル
イス・エスタバの持っていた世界ジュニア・フライ級タイトル連続防衛記録に
並ぶ。 2月21日:磯部明が史上最高齢の38歳で全日本新人王(ウエルター級)になる。 2月28日:天龍数典が友利正に1RKO負けして、日本ジュニア・フライ級タイトルを失
う。天龍の連続タイトル防衛の記録が16で途切れた。 3月 5日:金平正紀・協栄ジム会長が、全日本ボクシング協会会長に就任。 3月24日:中島成雄がイラリオ・サパタに判定負けして、タイトル初防衛に失敗する。 4月 2日:磯上秀一がWBA世界バンタム級チャンピオン、ホルヘ・ルハンに挑戦したが
9RTKO負け。 4月 3日:バトルホーク・風間がWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオン、サムエル
・セラノに挑戦したが、13RKO負け。 4月 9日:日本のリングでレフェリーとして活躍していた、ニッキー・ポップ氏が死去。 4月15日:全日本ボクシング協会は「ピストン・堀口賞」,「渡辺勇次郎杯」,「荻野貞
行杯」の新設を決めたが、2度ほどで消滅した。 5月18日:大熊正二が戒厳令下の韓国のソウルで、WBC世界フライ級チャンピオン、朴
賛希を9RKOで下し、5年4ヶ月にぶりにタイトル奪還に成功する。 6月 1日:具志堅用高がマルチン・バルガスを8RKOで下し、12度目のタイトル防衛
に成功し、世界ジュニア・フライ級タイトル防衛記録を作る。 6月11日:村田英次郎がWBC世界バンタム級チャンピオン、ルペ・ピントールに挑戦し
たが、引き分けでタイトル奪取ならず。 7月28日:大熊正二が金性俊を判定で下し、タイトル初防衛に成功する。 8月 2日:上原康恒がアメリカ・デトロイトでWBA世界ジュニア・ライト級チャンピオ
ン、サムエル・セラノを6RKOで下し、タイトル奪取。 9月 3日:日本タイトル19連続防衛記録を持っていた秋山政司氏が死去。 9月17日:中島成雄がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、イラリオ・サパタに
挑戦したが、11RKO負け。 10月12日:具志堅用高がペドロ・フローレスを判定で下し、13度目のタイトル防衛に成
功する。 10月18日:大熊正二が朴賛希を判定で下し、2度目のタイトル防衛に成功する。 11月19日:一家4人殺害犯とされている元ボクサー袴田巌被告に対し、最高裁が死刑確定
の判決。袴田被告の弁護側は直ちに再審を請求。この再審は、現在も継続中と
なっている。 11月20日:上原康恒がレオネル・エルナンデスを判定で下し、タイトル初防衛に成功する。 12月 2日:日本ジュニア・バンタム級の初代王者決定戦が行われ、ジャッカル・丸山が、
古口哲を5RKOで下す。 <昭和56年> 2月 3日:大熊正二が朴賛希を再び判定で下し、3度目のタイトル防衛に成功する。なお
この試合は日本で初めて3ジャッジ制で行われた。 3月 8日:具志堅用高がペドロ・フローレスに12RKOで敗れ、14度目の防衛に失敗
し、タイトルを失う。 4月 5日:村田英次郎がWBA世界バンタム級チャンピオン、ジェフ・チャンドラーに挑
戦したが、引き分けでタイトル奪取ならず。村田は世界タイトル挑戦連続引き
分けの珍記録。 4月10日:上原康恒はサムエル・セラノに判定負けして、タイトル失う。 4月21日:渡辺二郎が韓国のソウルでWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、金
戊Mに挑戦したが、判定負け。 5月12日:大熊正二がアントニオ・アベラルに7RKO負けして、タイトルを失う。 6月 1日:全日本ボクシング協会は、小学生の入場無料を決める。 8月 7日:具志堅用高が引退を発表。 8月 :全日本ボクシング協会は、引退した日本チャンピオンにチャンピオンベルト贈
ること決める。 9月22日:ハリケーン・照がWBC世界バンタム級チャンピオン、ルペ・ピントールに挑
戦したが、15RKO負け。 9月30日:ミカド・ジム封鎖にともなって、亀田昭雄らが協栄ジム移籍を拒否して独立を
はかったが不成立。 10月 :WBA本部から、具志堅用高にデンプシー賞楯が贈られる。 10月 3日:川上プロモーションが日本で初のディナー・ボクシングを開催。 10月 5日:〜15日にわたってチャンピオン・カーニバルが開催される。 11月 7日:三原正がアメリカのロチェスターで空位となっていたWBA世界ジュニア・ミ
ドル級タイトルをロッキー・フラットと争い、判定勝ちして新チャンピオンと
なる。 11月18日:ジャッカル・丸山が韓国の釜山でWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオ
ン、金戊Mに挑戦したが、9RTKO負け。 11月30日:JBCは@リングから転落した場合、カウントを10から20にするAライセ
ンス受給年齢を17歳から37歳までとするB新人テスト受験は30歳までと
するという、ルール改正をする。 12月 9日:日本マネージャー協会が発足。 12月10日:村田英次郎がアメリカのアトランティック・シティでWBA世界バンタム級チ
ャンピオン、ジェフ・チャンドラーに再挑戦したが、13RKO負け。また同
日、友成光がプエルトリコのサンファンでWBA世界ジュニア・ライト級チャ
ンピオン、サムエル・セラノに挑戦したが、12RTKO負け。 12月16日:渡嘉敷勝男がWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオン、金煥珍を判定で下
し、タイトル奪取。 <昭和57年> 2月 2日:三原正がデビー・ムーアに6RKO負けして、タイトル失う。 2月10日:石井幸喜が韓国の大邱でWBC世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、金
鎬に挑戦したが、8RKO負け。 2月18日:河合哲朗・カワイジム会長が、全日本ボクシング協会会長に就任。 2月22日:赤井英和がデビュー以来の9連続KO勝ちの日本新記録。 3月 2日:中島成雄が引退発表。 3月 4日:「週刊文春」が金平正紀・協栄ジム会長は「薬物混入の仕掛人」という記事を
掲載。これがいわゆる「毒入りオレンジ騒動」としてマスコミで大きく取り上
げられることに。 3月 5日:金平正紀・協栄ジム会長は「事実無根」として文春を名誉毀損で告訴したが、
「世間を騒がせた」としてJBCにマネージャー・ライセンスを返上する。 3月 7日:高橋勝郎氏が協栄ジム新会長に就任。 3月18日:JBCは金平問題疑惑解明のためボクシング健全化対策委員会(委員長に川本
信正氏)が発足。委員会は「疑わしきは罰する」として金平氏の永久追放を決
め、コミッショナーに答申。保坂コミッショナーは金平氏の永久追放を発表し
た。(後に金平氏は復権) 4月 4日:渡嘉敷勝男がルペ・マデラを判定で下し、タイトル初防衛に成功する。この試
合でTV解説をしていた白井義男氏の採点と結果が違ったことと、前述の金平
疑惑とが重なって、審判買収を「週刊現代」がぶち上げたが、審判の告訴で敗
訴。 4月 8日:渡辺二郎がWBA世界ジュニア・バンタム級チャンピオン、ラファエル・ペド
ロサを判定で下し、タイトル奪取。 4月 9日:上原康恒が引退を発表。 4月13日:友利正がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、アマド・ウルスアを判
定で下し、タイトル奪取。 4月30日:健全化対策委員会がファイトマネーの公開義務付けなどの答申を行って解散。
新たに、小島茂JBC事務局長を委員長とする倫理委員会が設置される。 7月 4日:亀田昭雄がアメリカのシンシナチでWBA世界ジュニア・ウエルター級チャン
ピオン、アーロン・プライヤーに挑戦したが、6RTKO負け。 7月 6日:JBCは、39歳の湯川一昭の引退試合出場を認めず。 7月 7日:渡嘉敷勝男が伊波政春を8RKOで下し、2度目のタイトル防衛に成功する。 7月 8日:20日に金沢で予定されていたWBC世界ジュニア・フライ級タイトルマッチ
の興行に、暴力団関係者がいるとして石川県警がはずすよう要請。また、石川
県が会場の産業展示館の使用を許可しないと発表したため、暴力団関係にわた
った入場券を回収し、暴力団と手を切ることで解決した。 7月20日:友利正がイラリオ・サパタに判定負けして、タイトルを失う。 7月29日:渡辺二郎がグスタボ・バラスを9RTKOで下し、タイトル初防衛に成功する。 10月 4日:プエルトリコのサンファンで行われていたWBA総会で、小島茂JBC事務局
長が副会長に選任される。 10月10日:渡嘉敷勝男が金成南を判定で下し、3度目のタイトル防衛に成功する。 10月21日:小林直樹選手が、10月18日の試合でKO負けしたあと死亡。A級ボクサー
初のリング禍で、ボクサーの健康管理が問題となる。 10月22日:JBC設立30周年記念式典を開き、関係者に感謝状を贈る。 11月 1日:〜16日チャンピオン・カーニバル開催。 11月11日:渡辺二郎が大熊正二を12RTKOで下し、2度目の防衛に成功する。 11月30日:友利正がWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、イラリオ・サパタに挑
戦したが、8RTKO負け。 12月 6日:赤井英和が知念清太郎に判定勝ち。赤井が続けていたデビュー以来の連続KO
勝ちが12でストップ。12連続KO勝ちは、当時ムサシ・中野の持っていた
連続KO勝ちの日本記録とタイ。 12月 9日:WBCが、世界タイトルマッチをすべて12回戦にすると発表する。 12月24日:工藤政志が引退を発表。 12月27日:大熊正二が引退を発表。 <昭和58年> 1月 9日:渡嘉敷勝男が金煥珍を判定で下し、4度目のタイトル防衛に成功する。 1月17日:全日本ボクシング協会は月間最優秀選手賞の設定を決める。 2月 8日:JBCはKO(TKOを含む)負けした選手の休養期間を、従来の30日から
45日にすると発表する。 2月24日:渡辺二郎がルイス・イバネスを8RKOで下し、3度目のタイトル防衛に成功
する。 3月27日:名物リングアナウンサー高梨邦男氏が死去。 4月10日:渡嘉敷勝男がルペ・マデラと引き分けて、5度目のタイトル防衛に成功する。 5月 5日:穂積秀一がWBA世界フライ級チャンピオン、サントス・ラシアルに挑戦した
が、2RKO負け。 5月11日:伊波政春が韓国の大邱でWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、張正九
に挑戦したが、2RTKO負け。試合前の計量で張は、リミットを勘違いして
あわやウエイト・オーバーで失格というハプニング。 5月15日:ボブ・アラムらが発起人となってUSBAI(アメリカ国際ボクシング協会)
が、ボビー・リーを会長に発足する。 6月22日:渡辺二郎が仙台・ラミレスを判定で下し、4度目のタイトル防衛に成功する。 7月 7日:赤井英和がWBC世界ジュニア・ウエルター級チャンピオン、ブルース・カリ
ーに挑戦したが、7RKO負け。この試合は、日本で行われた初めての12回
戦の世界タイトルマッチ。 7月10日:渡嘉敷勝男がルペ・マデラに4R負傷判定で敗れ、タイトル失う。しかし、コ
ミッションが一度引き分けと発表するなど混乱、渡嘉敷のチャンピオン・ベル
トを誰かが持ち去る事件も発生した。 8月26日:USBAIが改称したIBF(国際ボクシング連盟)が日本支部設立を発表。
池田久・奈良池田ジム会長らが、IBF日本の役員に就任。JBCはIBFの
動きに対し、「一国一コミッション」の原則を守るため、IBF日本を認めず
IBFに参加したものはライセンス停止などの処分を課すと発表する。 9月10日:キョウエイ・トーレスが韓国の大田でWBC世界ジュニア・フライ級チャンピ
オン、張正九に挑戦したが、判定負け。 9月11日:村田英次郎がジェフ・チャンドラーに三度目の挑戦をしたが、10RKO負け。 9月20日:ファイティング・原田が、WBC設立20周年記念に26人の偉大なるチャン
ピオンの一人としてニューヨークに招待され、表彰される。 10月 6日:渡辺二郎が権順天に11R負傷判定勝ちを収め、5度目のタイトル防衛に成功
する。 10月23日:渡嘉敷勝男が立場挑戦者に変えてルペ・マデラと対戦したが、判定負け。 12月10日:IBF日本が大阪で興行。ジュニア・フライ級とジュニア・バンタム級の王座
決定戦を行う。日本から出場した新垣諭、春日井健の両選手は共にKO負け。
新垣は病院送り。 12月12日:この日予定されていた日本ジュニア・フライ級の王座決定戦は、伊波政春が計
量で、リミットを12ポンドもオーバーするという失態で中止となる。 <昭和59年> 1月 4日:岡本不二が死去。 1月18日:小林光二がWBC世界フライ級チャンピオン、フランク・セデノを2RKOで
下し、タイトル奪取。 2月25日:木村七郎・新日本木村ジム会長が、全日本ボクシング協会会長に就任。 3月 2日:ロサンゼルス遠征中の浜田剛史が、ホセ・レセンデスと対戦したが、浜田のボ
ディ・ブローを巡って、一度ロー・ブローによる反則負けを宣せられたが、浜
田陣営の猛抗議でノー・コンテンストに裁定が覆る。 3月 3日:樋口喜壮JBC西部コミッション事務局長が死去。 3月15日:渡辺二郎がセルソ・チャベスを15RTKOで下し、6度目の防衛に成功する。 3月23日:木村七郎全日本ボクシング協会長の奔走で、亀田昭雄vs赤井英和戦を、東京
と大阪で二度開催することがプロモーター会議で合意されたが、後にお流れと
なる。 4月 9日:小林光二がガブリエル・ベルナルに2RKO負けして、タイトルを失う。 4月16日:新垣諭がエルメル・マガラノを8RKOで下し、IBF認定の初代バンタム級
チャンピオンとなる。 5月11日:串木野純也が興島将二に判定勝ち、13連続KO勝ちの日本記録達成ならず。 6月 1日:渡辺二郎vsパヤオ・プーンタラットのWBA・WBC世界ジュニア・バンタ
ム級チャンピオン同士の対戦が決定したが、WBCルールによる12回戦制の
試合にWBAが難色。結局、試合を強行すれば、渡辺のタイトルを剥奪すると
いう警告をWBAが発表する。 7月 5日:渡辺二郎がWBAの警告を無視する形でパヤオ・プーンタラットとの世界ジュ
ニア・バンタム級タイトルマッチを行い、判定勝ちを収めてWBCチャンピオ
ンとなる。WBAは警告通り、渡辺のタイトルを剥奪したと発表した。 8月 1日:吉田勇作レフェリーが引退。選手時代所属していた帝拳ジムが引退興行を行う。 8月18日:渡嘉敷勝男が韓国のソウルでWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、張
正九に挑戦したが、9RTKO負け。 9月 9日:浜田剛史が元世界チャンピオンのクロード・ノエルに4RKO勝ちして、13
連続KO勝利の日本記録を達成。後にこの記録は15まで伸びる。 9月11日:赤井英和が金銭上のトラブルから、津田博明会長宛に引退届を送付。しかし、
関係者の説得により17日になって、この引退を撤回することを発表した。 11月29日:渡辺二郎がパヤオ・プーンタラットとの再戦で11RTKO勝ちを収め、WB
Cタイトル初防衛(通算7度目)に成功する。 12月 2日:浜田剛史が友成光に7RKO勝ちを収め、日本ライト級チャンピオンになる。 12月15日:倉持正が韓国の釜山でWBC世界ジュニア・フライ級チャンピオン、張正九に
挑戦したが、判定負け。